ブレイン・コンピューティング

知性の増幅器としてのIT

「パソコンは人間の知性の増幅器。」(by アラン・ケイ)
技術はすでに十二分に揃っている。
発想の転換が必要。
人間の側の進化が求められている

幸せとは、自分がどんな世界で生きているのかを、生活者が把握していること。
お互いに「何が大事なのか」を共有できている社会。
ブレイン・コンピューティングは、自分の潜在意識とのつながり。
インターネットは、不特定多数の他者とのつながりの世界を構築した。
そこに新しい付加価値を加える必要がある。それは自分の内面世界とのつながり。
アラン・ケイは、パソコンの本質を「人間の知性の増幅器」と言った。
ただ今の現状はそこまでは達していないとも語っていた。
パソコンが単なる道具にすぎないと。でももっと可能性があるんだと。
人間の知性を考えるには、潜在意識のことを考えることが欠かせない。
人間の不思議さは、その高度に進化した頭脳をまだまだ生かし切れていないことだ。
人間が言葉を獲得してずいぶん時間が経つが、パソコンを獲得してまだわずか数十年にすぎない。

コンピュータは、人間の心を作るための最高の道具になる。 人類が過去の歴史で火や鉄、文字を手にしたのと同じような影響があるはず。

IT機器は、副次的なもの。
メインは、人間の脳。
脳の可能性をサポートするために、IT機器が存在する。
頭がよくなるための道具。

ITの世界はほんとうにめざましく発展してきたが、一つ見落としがある。
パソコンの機能と、人間の潜在能力がマッチしていない。 機能ばかりが発達していて、人の能力がついていっていない。
パソコンは本来道具であるはずなのに、パソコン自体が目的となっている。
コンピュータの父と呼ばれているアラン・カーティス・ケイ博士は、「パソコンは人間の知性の増幅器である」と語っている。
パイプオルガンが音を増幅するように、パソコンも人間の潜在能力を引き出す道具であるべきと熱く語る。

ブレイン・コンピューティングとは、「何が大事なのか」を考え続けることである。
そのサポートをコンピュータに行ってもらう。
人間の脳みそがもっとも苦手とする、情報の整然とした分類整理。
ハードディスクが覚えていてくれるから、安心して雑多なことを忘れていられる。
かつてアインシュタインがそうだったように、本当に大事なことに頭脳を使うことができる。

「大事だと感じること」同士を、互いに衝突させる。
概念と概念をぶつけ合う。そしてニューロンのつながりを獲得する。
理想の世界に一歩近づく。本当に豊かさとはこういうものだと感じる。

活用すべき最高の機器は、人間の脳そのもの。
ITはその補助ツールにすぎない。
脳ほどの高性能な統合システムは存在しない。
どんなスーパーコンピュータであろうと、機械に深い葛藤を抱くことはできない。
どんなに科学技術が進化しようとも、人間の脳の統合力には遠く及ばない。

脳の力では抱えきれないことを、IT機器に任せる。
つまり、情報の記憶はハードディスクに任せる。
頭は、ビジョンを練り上げたり、葛藤したりすることに使う。
それがブレイン・コンピューティング。

ITは脳みその可能性をサポートするもの。
組み合わせて最高の思考サポート環境をつくりたい。
つくって満足するだけじゃなく、その環境を日常的に使って、もっと世界を理解したい。
もっと世の中を知り、もっと深く考えたい。世界観を広げ、問題意識を深めたい。

関心があるのは、IT機器じゃない。技術やスキルじゃない。 ITを使って、どう人が賢くなれるか。 誰もが豊かな人生を送れる人間社会を実現できるか。

21世紀は「心を開拓する時代」といわれてきた。そのための準備は整ってきた。
外付けのハードディスクなどのIT技術により、映像や文章などの情報データを自由自在に駆使する環境が実現した。
これにより、人は自分の心と正面から向き合い、分析することが可能になる。
自分の心を造るために、外部の情報と接することができる。
映像を編集したり、新聞記事を編集したりする過程で、自分の世界観ができていく。
この流れによって人間性が進化する。
遺伝子医療などのバイオ技術や、ナノテクノロジー、ロボット技術など、神の領域の技術を使うことを人間に許してくれる。
それを扱うだけの知性を人類が持つことができる。

IT技術の発展がめざましい。
計算速度はどんどんスピードアップしているし、ウィンドウズなどのOSも確実に進化している。
今のパソコンは、一台にあらゆる機能が揃っている。
ワード、エクセルなどのオフィス機能はもちろんのこと、DVDで映画を楽しめ、音楽も楽しめる。
最近のパソコンではテレビも見れるものも多い。 一台のパソコンがあれば、テレビもコンポもビデオも必要がない。
テレビ録画もビデオテープと較べると恐ろしいほど便利。
ハードディスクに一旦取り込むので、ビデオテープの出し入れが必要ない。
ニュースを見ていて録画したい場面があれば、録画ボタンを押して2秒後には録画がスタートする。ボタン一つで済んでしまう。
ハードディスクの容量もどんどん大きくなっているので、一台に数百時間も録画して保存できる。
パソコンの使用環境も進化している。
無線LANの環境も増えているし、小型の携帯型のパソコンもある。
PDAのような手のひらサイズのものもある。
プリンタもスキャナーも進化している。 以前であれば新聞の切り抜きは、保存が非常に大変だったが、
スキャナーでパソコンに取り込んでしまえば、すべて電子の世界で保存できてしまう。 大量の紙に悩まされることもない。
クリック一つで見たい記事を呼び出すことができる。

大脳新皮質(ニューロンの森)を成長させる。

「心」というアナログマシンをいかに開発するか。
どういう使い活をすると、思考環境をサポートする最強の武器になるか。

以心伝心が目指す思考環境は、効率よく質の高い情報を取得し、じっくりと考える機会をたくさん持つことである。
情報処理は、入力・処理・出力の3つの段階に分けられる。
質の高い情報をまず「入力」し、それをじっくり考えることで「処理」し、自分の考えを「出力」することで誰かに伝える。
たとえば僕が現在利用しているものを挙げてみる。

情報の入力 ・・・ ソーシャルブックマーク RSSリーダー Veohやニコニコなど動画共有 サービス Wikipedia Picasa 紙copi  Qperコピー
Evernote  Ringoes    スキャナーなど。
情報の処理 ・・・ 主に思考を助けてくれるツール。マインドマップツール Dropbox 有償のものとしては、office word  powerpoint   mindmanager等

情報の出力 ・・・ mixi ブログ CMSなどフリーのウェブ構築サービス(このサイトもgoogle sitesで作っている) Skype Jing  OpenPne 

だいたいこんな感じ。
次にどんな風に日々使っているのか、簡単に書いてみる。

「情報の入力」
はてなブックマークなどを使って質の高い情報を探し、わからないことがあればwikipediaなどで調べている。
映像については基本的にパソコンに内蔵されたテレビ機能で録画しているが、最近は動画共有サイトからダウンロードして集めることも多い。
役に立ちそうな記事があったときは、Qperで切り取って分類保存したり、Evernoteに放り込んだりしている。

「情報の処理」
ここはフリーのものより有償のもののほうが利便性が高いかもしれない。特に使えるのがマインドマップツールであるMindmanager。
これはとても使いやすい。動作も軽く、複雑な思考を助けてくれる。
マインドマップ形式で思考を進める利点は、複雑な思考世界を整理することができること。
全体を俯瞰することができ、重要なポイントの洗い出しができる。
最近見つけたDropboxは強力に使える。これはファイルを自動的に同期してくれるツール。
複数のパソコンを使い分ける人にとっては、上書きに気を使う必要がなくなる。

「情報の出力」
僕は主にブログやmixiを使ってきた。またOpenPneというフリーのSNS構築アプリを使って、以心伝心SNSというものを作っている。
いわば自分たちだけのmixiを持つことができる。情報を共有する手段として、強力に使える。

情報のコントロール力

情報を分類できて、大事なものとそうでないものを取捨選択して残してゆける。
自分にとって大事な情報を一元管理できるプラットホーム。

この情報洪水の時代を生き抜くには、自分の心を守るための情報戦略が必要になる。

問題意識を操作する。

必要な情報を、一箇所に集める。

学んだ内容を、パソコンなどのデジタル機器の中に保存し、いつでも見返せる状態にする。
以心伝心が目指す「新しい学び」の基本。
映像を見るときには、重要な気づきのポイントを画像化(キャプチャ)し、各タイトルごとにフォルダ分けして保存する。
新聞を読めば、記事を切り抜くなどして、スキャナーで取り込み、フォルダごとに分類整理していく。
折々に触れて、保存したフォルダを見返すことで、記憶の強化をはかる。

これからは、「積み重ねる」時代になる。
従来、生きることは、「覚えて忘れる」ことの連続だった。
IT技術が、その人にとって「大事な情報」を蓄積する。
覚えている必要性から解放され、本質を考える時間を持てる。
Evernoteや映像学習が、人間の思考の質を変える。
大事な考えや概念を、ITの仮想世界に蓄積でき、いつでも想起できる。
世界観や問題意識の構築レベルで、変革が起きる。

ITでよく言われることに、ITを使えば人間の一生を記録できるようになる、という考え方がある。
俺はそれに挑戦しようとしている。ただし、「気づき」。
自分が考えたこと、感動したこと、疑問に思ったこと。
日々、生活している中で抱いたさまざまな気づき。
それを記録し、保存する。
繰り返し想起することで、記憶の幹を太く成長させることが狙い。
何が大事なのか、本質を見抜く目を持つ人間になるために。

情報を共有することで、ビジョンを共有する。

以心伝心が目指すのは、「世界を理解する」という目的の共有。
そのための最高の学びの場であり、最高の仕事の場であることを目指す。
学ぶことと働くことの新しい融合。
たとえば次のようなシステムを開発したい。
あらゆる情報と自分の世界観をつなげるシステム。
文章、画像、動画、さまざまなコンテンツがある。
それらを「タグ」でつなぎ、リンクでつなぐ、脳内とリンクしたプラットホーム。
いわば「ブレイン・コンピューティング」
たとえば良い文章を読んだ。良い本を読んだ。良い動画を観た。
それらの体験から得た「エッセンシャル(本質)」の部分を短いタグにする。
そのタグは、以心伝心が開発したプラットホームのなかで位置づけられる。
自分にとって重要だと思う概念を、自由自在に操れる思考サポート空間。
ウェブ上にそれを構築し、どこからでもアクセスできるようにする。
また検索によって、自分と指向性が近い仲間と出会えるようにする。

情報を共有することの意味

以心伝心で目指すのは、情報の共有である。
本や映像など、情報を共有する。 選りすぐりのものをセレクトし、以心伝心のメンバーで共有する。
同じ情報を共有することで、どんな効果を期待するのか?
情報をどう消化吸収するか。
本棚を共有するだけでは意味はない。
まずそこに収められた本を読む。
集中して読む。読みながら考える。
情報は材料にすぎない。
材料をもとにどんな世界観を構築するのか。
ここが以心伝心の肝である。

同じ映像を何百、何千と共有して何を目指すというのか?
世界観の共有、価値観の共有である。
それは一人の人間として目指すことのできる最高峰を目指すことであり、同時に最深部を目指すことだ。
世界観、価値観を深めるとき、一番重要なのは人間関係である。
どんな人と一緒に時間を過ごすかで、これらの成長は変わってくる。
人間は、人と人の間に生きる存在だ。
人間関係のなかで、人は価値観を深め、世界観を広げる。
以心伝心が目指すのは、最高の情報共有。
そして日常的な切磋琢磨の共有。
その先に、価値観や世界観の共有がある。
何が大事なのか、この世界はどんな世界なのか。
そういう本質を見極める目を共有する。
それによって、世界を変える仕事をする。

情報の共有がいかに大事か。
同じ本、同じ映像。
違うコンテンツを基にしていると、噛み合わない。
基本となる情報源は、同じソースであるべき。
そのルールを守れない人間は、情報共有の重要性がわかっていない証拠。

最良の製品・サービスを組み合わせて活用する。

最高のツールを組み合わせて、 最高の情報環境を構築する。

無料で使えて、しかも高機能な ツールはたくさん存在する。

無料で使える素晴らしいツール
Evernote ・・・ 情報を整理する中核基地
Dropbox ・・・ ファイルの同期を行う
Picasa  ・・・ 画像管理
Synergy  ・・・ 複数モニターでの作業効率化
Gomplayer  ・・・ 映像を観る&キャプチャー
Firefilecopy  ・・・ ファイル転送を高速に
Rapture  ・・・ 画像の切り取り
LightWrire  ・・・ 書き出し
Skype  ・・・ 無料通話
マウ筋  ・・・ マウスジェスチャー
Google Chrome ・・・ 高機能&高速ブラウザ
MDIE  ・・・ タブ型ファイラー
OpenPNE ・・・ 無料SNSソフト
OpenOffice  ・・・ ワード・エクセル・パワーポイント

有料の素晴らしいツール
Mindmanager ・・・ マインドマップソフトの決定版
(Lite版で十分。)

さまざまな製品
iphone
ipod nano
ipod touch

低価格デジタル一眼レフ(ex Nikon D40)
e-mobile
wimax
無線LANスポットの把握(マックやスタバ)
使いやすいキーボード&マウス
ブロードバンド環境 (光orADSL)
ウェアラブル・ディスプレイ
TB(テラバイト)クラスで1万円を切る外付けハードディスク
手書き文字をデータ化してくれる「デジタルペン」

つくづく思うけど、ネットサービスの進化ってすごい。
なんで無料で使えちゃうんだろう・・っていうサービスが幾らでもある。 こういうのを知っているのと知らないのでは、効率性や生産性に大きな差が出る。

知っている人は当然知っているものばかりかもしれない。
でも知らない人は本当に知らない。 以前の僕がそうだったように。

今でこそ毎日ほとんどの時間をパソコンと向き合って生活しているが、 僕は30歳になるまでパソコンを持っていなかった。 パソコンに対する、非常に強い苦手意識があり、また興味を持てなかった。 大型電器店などに行くと、パソコンコーナーを横切るだけで気持ちが悪くなるような、 そんなデジタル世界と縁遠い人間だった。

今から4年前のことだが、30歳になって初めて自分のパソコンを買って驚いた。 情報との接点がまるで違う。流通している情報量が桁違いに多く、手軽に手に入る。 広告収入等に支えられたフリーソフト・フリーサービスが無数に存在する。 なんてすごい世界なんだろうと思った。

上述したような無料のウェブサービスは他にもたくさんあるだろう。 思うのは、これらを組み合わせると、ものすごい可能性が生まれるんじゃないかと。
今はサービスはたくさん生まれているが、それを組み合わせた「利用方法」が存在しない。
言い換えると、「使いこなせる人間」が存在していない。

良いサービスを組み合わせれば、最強の学びの環境が必ず実現する。 しかも低コストで。(なぜならそのほとんどが無料だから。)
スカイプを使えば、通話だろうがテレビ会議だろうがタダでできる。
Qperや紙copiを使ってウェブ上で情報収集すれば、短時間で大量の情報を集められる。
さらにそれらの情報をdropboxなどで共有すれば、どんなに凄い情報網が可能だろうか。

考えれば考えるほど、夢が膨らむ。
問題は、そういうことを本気でやろうって人がいないこと。
ウェブサービスを組み合わせて使わねば達成できないほどの「壮大な目的」を持つ人がいない。
便利なツールは、便利に使っていればいい。そんな程度でしかない。

僕はそうじゃない。使えるサービスは常に厳選し、最高の使い方をしてゆきたい。 単体で捉えるのでなく、組み合わせればその可能性を追求したい。
今まで存在しなかったような、ものすごい人的情報ネットワークを実現したい。 それが以心伝心である。

僕はいわゆる「デジタルネイティブ」ではない。

僕は家電量販店のパソコンコーナーを横切るだけで気分が悪くなっていた人間。
30歳までまともにパソコンを触ったことがなかった。興味が持てなかった。

僕はいわゆる「デジタルネイティブ」ではない。
昭和の記憶を持って育った人間。
ブレイン・コンピューティングの根っこには、「昭和の記憶」がある。

デジタル思考・アナログ思考とは

アナログ思考とは、一言でいうと「真心」。

デジタル思考とは、一言でいうと「常識的思考」。

デジタル思考=1か0かに明確に分ける思考
アナログ思考=曖昧微妙で一方に決めつけない思考

ブレイン・コンピューティングは、「真心」をサポートする。
心根の発達。心に根付かないと意味がない。

デジタル思考タイプの人は論理性で勝負する。
テクニック重視。
発言の勢いとか、プレゼンの質とか。

アナログ思考タイプの人は本質力で勝負する。
考えの深さを重視。
目先ではない、長期的視野に立って考える。

これからの時代に求められる頭の回転は、「本質をつかむスピード」。
本質をつかむ知性は、「何が大切なのか」を瞬時に読み取る。 目的を実現するために何が必要なのかを直観的に理解する。

バブル崩壊後の日本は、経済の建て直しに奔走してきた。
IT技術の発展とも重なり、日本社会の情報量は一気に膨れ上がった。
その結果ある「大きな問題」が生じることになる。それは「情報がどんどん膨れ上がっていくスピードに、日本人の思考そのものがついていかなくなった」ことだ。
猛烈な情報化の流れに、日本人の思考が追いつけない状況になり、多くの人は「余計なことを考えない」ようにして、目先の仕事に夢中で対処し続けた。
そのような「失われた10年」の間に、特に都市部の人々を中心に、考え方が非常に「デジタル化」されてしまったように感じられてならない。
「葛藤や不安を抱くこと」を嫌い、イチかゼロかで物事を考えようとする人が急増している。
「中間の曖昧さ」を感じようとしない。「混沌とした価値観や世界観」を自分の中に持とうとしない。
一般にその風潮は「洗練」と呼ばれている。
デジタル思考は意思決定をスムーズにし、生きることを楽にするが、同時に「過剰な欲望」を生む。
「葛藤を放棄したことにより得る快楽」は、いくら手に入れても決して満たされない「底無しの快楽」なのだが、多くの人はそれに気づいていない。
「勝ち組」という言葉に憧れる人は、自分の思考が「コンピュータチップ」のようになりつつある様子を想像してみてほしい。
そこは「真心が地中深くに封印された世界」なのかもしれない。
社会は将棋ではない。「将棋盤の外の空間」にも無数のルールが満ちているのが、本来の社会の姿だ。
そのことを見失った数多くの「プロフェッショナル」たちが大手を振るう現在という時代は、「真心を大切にする人間」にはとても生きづらい時代になりつつある。
その傾向はどんどん強まっている。その先には「論理性が肥大化した訴訟社会」や「善悪の構造的二極化」の時代が待っている。
その流れを変えることはできるのだろうか?誰か真剣に考えようとしているのだろうか?

人間は「無限の可能性を秘めたアナログコンピュータ」であり、「葛藤によって進化していく存在」である。
人間の脳がまだ数パーセントしか使われていないのは、よく知られた話だ。人間の脳は大きな潜在能力を秘めている。
進化の歴史は「弱者の歴史」。「危機的状況」に陥った生き物たちが「自らを進化させる」ことによって、地球上の生命はここまで進化発展してきた。
人間も他の生き物すべても、その途上にある。「危機にさらされた人間の真心」は、新たな方向に道を見出すことになる。
真心は宇宙の運動そのものであり、決して潰すことはできない。必ず「新たな潜在能力」が開かれることになる。そうやって人は進化していく。
その「前兆」が心の病であり、引きこもりであり、ニートやフリーターの急増というミスマッチの問題だ。
これらを単に「問題」として「改善・治療」しようとするかぎり、新たな方向性は見えてこない。彼らの「潜在可能性を引き出す方法」が必要だ。
それが「遊休財産」としてのミスマッチ人材であり、「新たな発想にもとづく学習システムを開発する」ことの社会的意義、社会的必要性である。
「遊休人材たちの真心の力」を引き出すことができたとき、社会に新たな活力が生まれ、新たな市場が誕生し、小さな政府が実現し、
福祉や医療のバランスが生まれ、教育問題が解決し、世界に誇れる物心一如の豊かな日本社会が実現する。
そのとき中国やインドには決して模倣できない高付加価値体質の社会に生まれ変わる。
日本人はすでに活用すべき究極の次世代型資源を誰もが心のなかに持っている。
「計り知れないほど貴重な遊休財産」を心のなかに持っている。
しかし何十万、何百万の人間が各個人バラバラに、独りでその全重量を背負っているために、
その重みに耐えかねて押し潰されそうになっているのが現状だ。そこに心の病の本質がある。
その現状を未来への希望的観測として捉えるか、それとも悲観的観測として捉えるか、日本社会は選択の岐路に立っている。

一部の人間たちの「アナログ型価値観」への変化は、「乗数効果的」にすべての日本人に影響を与えていく。
誰もが「真心の価値」を思い出すようになる。
「ある人の真心」は他人の真心を呼び覚まし、家族の真心を呼び覚まし、
仲間の真心を呼び覚まし、権力者や教育者の真心を呼び覚ます。
そうなれば財政破綻の危機も必ず良い方向に乗り越えられるし、社会保障問題も少子化問題も解決の道が見えてくる。
子供を生み育てることに充実と幸わせを感じる心のゆとりが戻ってくる。
大人の側が「精神的なゆとり」を取り戻したとき、子供たちの「ゆとり学習」はごく自然の流れにおいて実現している。
まずは立ち止まっている人間の潜在能力を開くこと。それが日本の最優先課題である。
回り道のようだが、「ボトルネック」を解消しないかぎり、根本的な変化はなし得ない。
ミスマッチの問題は日本社会と日本経済のボトルネックであり、解消すべき最大の制約条件なのだ。
ボトルネックが解消されることにより、すべてが自然に流れ始める。
立ち止まっている人間たちの潜在能力を開く鍵は、IT技術が握っている。
特に映像に対する考え方が変わり、文明に代わる新たな発想が生まれてくる。
文字に対するの概念が変わる。新たな映像文化が、人間の脳の新たな領域を開拓することになる。
パーソナルコンピュータの提唱者であるアラン・ケイ博士が語るようにコンピュータは人間の知性の増幅器であるのだ。
それは競争原理から、調和原理への転換を意味する。
自分中心の利己的な感受性から、社会中心の利他的な感受性へと、人間の価値観は脱皮することになる。
さなぎが蝶になるように。
社会の混沌は、ひとりひとりの心のなかで統合されていく。

極端な知的飛躍がなぜ必要なのか?

映像学習は、極端な学び方であり、普通に生きることを望む人には必要のない学びである。
以心伝心では、なぜそのような極端な学び方をおこなうのか?
また以心伝心が目指す情報環境は、極端なものになる。
僕が理想としている情報環境は、効率性と効果を極限まで追求したものだ。
いろんなツールを組み合わせて、脳みその活性をマックスに近づけたい。
なぜそんな極端なことをするのだろうか?

それくらい知性を飛躍させなければ、日本社会には立ち向かえない。
ちょっと頭がよくなったくらいでは、日本という国にはとても太刀打ちできない。
無茶苦茶頭がよくなる必要がある。そのためには使えるものは何でも使っていきたい。