経済社会の限界

便利になれば、人間が擦り減ってもいいのか?

高度な技術って本当に僕たちに暮らしに必要なのだろうか?
リニアモーターカー、雲に届きそうな超高層ビル、人体をパーツ化させる再生医療、二足歩行し表情豊かなロボット、ガラパゴス化した携帯電話、CPUがいくもあるパソコン、国家を飲み込むグローバル金融市場、弱者を食い物にする法律、電気自動車、無数に生み出されるデジタル家電・・。
高度な技術は、今後の僕たちの社会生活に本当に必要なのだろうか?
なぜこのようなことを考えるのかというと、僕の中に矛盾した思いがあるから。

便利な社会を支えるためには、人は「組織の歯車」とならざるを得ないのか? 高度な技術は僕たちの生活を便利にすると同時に、便利になるがゆえの弊害を引き起こす。
現代人は生産者(職業人)の面に偏りすぎている。 生きることの本来の楽しみを忘れている。 生産者として一流であるかもしれないが、生活者(消費者)としては二流三流ではないだろうか。

自分達に本当に何が欲しいのかがわからない。
みんなが持っているから、自分も欲しい。尽きることのない、底の浅い物欲、虚栄心。
今の時代は、欲しいものがない時代と言われる。日々新製品や新サービスが提供されているが、本当に欲しいと思うものはなかなかない。 みんなが持っているから、なんとなく手に入れる。

“人間が擦り減らない、新しい効率化は実現できるか? ”

社会構造には、逆らい難い力がある。 今の時代に生きていると、高度な技術を次々と開発することが、ごく当たり前のように感じられる。 100年後の時代から振り返れば、20世紀初頭の最先端もやはり古い時代の価値観と感じられるのだろう。
なぜ本当に必要のないものをわざわざ自分の時間を犠牲にしてまで造るのだろう?とか、
なぜ組織の歯車になってしまうのだろう?とか、現代では当たり前のことが、未来から見れば時代遅れに見える。

したたかな権力者たち
今までの社会は波のように良い時期と悪い時期を交互に繰り返してきた。
好景気の後に不景気が必ず来るのがわかっている。
でも好景気のときには誰もが良い思いをしようとし、不景気にときにはわが身を守ろうとする。
社会設計の最適化という発想がない。
「人にやさしい企業」というクローズアップ現代の番組で、樹研産業が取り上げられていた。
好景気にときに内部留保を厚くし、不景気のときにリストラや給料カットをすることなく会社を運営していく。

そういう思想が社会全体の仕組みにも必要だ。 波を繰り返す世の中というより、自分たちが心から幸せだといえる世の中はどういうものなのか?
バブル崩壊後、失われた10年を克服するために限度を超えた輸血を行い、無理やり好景気にもっていった。
いざなぎ景気を超える、実感を伴わない景気。それはやってはいけないことだった。
本来痛い目にあって本質的な改善の力が働かないといけなかった。
しかし金融を駆使したトリックで、世界の景気まで人為的な操作がされ、昨年秋の世界不況をもたらした。
社会を設計する以前に、不景気すら受け止める力が今の世の中にはない。
先送りして行き着くところまでゆかないと改善できない社会体質。

貨幣価値バブル(ハイパーインフレの危険)
今までのバブルよりももっと大きなバブルがいま膨らんでいる。 財政問題というバブル。貨幣価値バブル。
問題を先送りし続け、お金を発行することで目先の問題解消、先送りし続ける世界。
いつか、もうこれ以上無理という時がくる。
いくらなんでも、これ以上は無理、と人々が気付き始める。
そのとき、極限まで膨らんでバブルが弾ける。
お金の価値が崩壊する。すべてが破たんし、世の中の仕組みが崩壊する。
それを防ぐには、戦争でもおこすしかないんじゃないか?
そうなったらもう最悪極まりない。

“社会設計の最適化という発想がない。”

日本は現在様々な問題を抱えているが、そのどれもが
本質的に人間の内面の成長に関わる問題。
生存の欲望を洗いざらい検証している段階。
これを乗り切ると、社会的欲望の淘汰が始まる。
本当の豊かさとは何かが社会的にコンセンサスを得ていく。
そのような作業は、中国やインドなどBRICs諸国には真似できない。
中国においては、これから物質的な豊かさの追求が始まる。
物の豊かさに社会が満足するまでは10年、20年という歳月が必要。
日本は調和型社会への移行段階に入ってきている。

日本の消費者は世界一厳しいと言われるが、それは世界一生きづらい世の中ということの裏返しではないか。
日本の消費者は一流とはいえない。流行に流され、周りの人と一緒のライフスタイルをしているだけ。
みんながそうしてるから、自分もそうする。
日本では何かあるとすぐに責任を問われる。社会でも会社でも。
本当に良いものを作ろうとこだわっているなら、
自分たちの暮らしをここまで世知辛いものにするだろうか。

不景気は構造的に必ず訪れる。

経済の仕組みは、好景気と不景気のサイクルを前提にしている。
釣りに例えると、満潮のときはよく釣れるけど干潮では釣れないよ、みたいに構造になっている。
景気がいいときは、短期雇用でも仕事が安定確保されるので、みんな問題にしない。
与えられた仕事をこなしつつ、余暇は自分の好きなことをして過ごす、という日常。
しかし不景気は構造的に必ず訪れる。
好景気は必ず終わりを迎え、不況に突入する。
その備えを企業も雇用される側も十分にしない。
働き手は急に仕事がなくなり、苦境に陥る。
1兆円の利益が上がっていても、乾いた雑巾を絞るように「KAIZEN」する。
セル生産方式でさっと工場ラインを組み替えるように、労働システムも組み替えてしまう。
その仕事にかかわって「人が生活している」という根本的な発想が抜けている。
晴れの日に傘を張る、という発想がない。

“法律に触れさえしなければ、稼いだ者勝ち。 ”

セレブ、スーパーリッチという名の非国民。
「非国民」が増えている。
グローバリゼーションの流れの中で、日本社会に対して想像力と責任を失った人たち。
自分さえ良ければ何をしても許される。
法律に触れさえしなければ、稼いだ者勝ち。
身勝手な理屈、想像力のとぼしさ。
リスクヘッジして、この国がどうなろうと、自分たちは安全な場所を確保している。
そんな人たちはもはや日本人ではない。セレブ、スーパーリッチという名の非国民。