我慢ならないこと

「普通の暮らし」の中で、いつも違和感を抱いていた。

高度な技術って本当に僕たちに暮らしに必要なのだろうか?
リニアモーターカー、雲に届きそうな超高層ビル、人体をパーツ化させる再生医療、二足歩行し表情豊かなロボット、ガラパゴス化した携帯電話、CPUがいくもあるパソコン、国家を飲み込むグローバル金融市場、弱者を食い物にする法律、電気自動車、無数に生み出されるデジタル家電・・。
高度な技術は、今後の僕たちの社会生活に本当に必要なのだろうか?
なぜこのようなことを考えるのかというと、僕の中に矛盾した思いがあるから。

便利な社会を支えるためには、人は「組織の歯車」とならざるを得ないのか? 高度な技術は僕たちの生活を便利にすると同時に、便利になるがゆえの弊害を引き起こす。
現代人は生産者(職業人)の面に偏りすぎている。 生きることの本来の楽しみを忘れている。 生産者として一流であるかもしれないが、生活者(消費者)としては二流三流ではないだろうか。

自分達に本当に何が欲しいのかがわからない。
みんなが持っているから、自分も欲しい。尽きることのない、底の浅い物欲、虚栄心。
今の時代は、欲しいものがない時代と言われる。日々新製品や新サービスが提供されているが、本当に欲しいと思うものはなかなかない。 みんなが持っているから、なんとなく手に入れる。

“美しさの裏から放たれる臭いがある。 ”

僕は日本という国が好きだ。世界的にみても良い国だと思う。 でも同時に耐えられないほど嫌いな面もある。

日本という国は美しい。 だが僕は臭いが気に入らない。
美しさの裏から放たれる臭いがある。 僕にはそれが我慢できない。
臭いを放っている本人たちは気づかないだろう。 タバコと同じだ。 でも気づく人間には耐えがたいもの。

したたかな権力者たち
今までの社会は波のように良い時期と悪い時期を交互に繰り返してきた。
好景気の後に不景気が必ず来るのがわかっている。
でも好景気のときには誰もが良い思いをしようとし、不景気にときにはわが身を守ろうとする。
社会設計の最適化という発想がない。
「人にやさしい企業」というクローズアップ現代の番組で、樹研産業が取り上げられていた。
好景気にときに内部留保を厚くし、不景気のときにリストラや給料カットをすることなく会社を運営していく。

そういう思想が社会全体の仕組みにも必要だ。 波を繰り返す世の中というより、自分たちが心から幸せだといえる世の中はどういうものなのか?
バブル崩壊後、失われた10年を克服するために限度を超えた輸血を行い、無理やり好景気にもっていった。
いざなぎ景気を超える、実感を伴わない景気。それはやってはいけないことだった。
本来痛い目にあって本質的な改善の力が働かないといけなかった。
しかし金融を駆使したトリックで、世界の景気まで人為的な操作がされ、昨年秋の世界不況をもたらした。
社会を設計する以前に、不景気すら受け止める力が今の世の中にはない。
先送りして行き着くところまでゆかないと改善できない社会体質。

貨幣価値バブル(ハイパーインフレの危険)
今までのバブルよりももっと大きなバブルがいま膨らんでいる。 財政問題というバブル。貨幣価値バブル。
問題を先送りし続け、お金を発行することで目先の問題解消、先送りし続ける世界。
いつか、もうこれ以上無理という時がくる。
いくらなんでも、これ以上は無理、と人々が気付き始める。
そのとき、極限まで膨らんでバブルが弾ける。
お金の価値が崩壊する。すべてが破たんし、世の中の仕組みが崩壊する。
それを防ぐには、戦争でもおこすしかないんじゃないか?
そうなったらもう最悪極まりない。

“今の日本は、あらゆる問題の本質を先へ先へと送っている。 どうやって解決しろというのだろう?”

先送り体質の社会は、変革がどんどん難しくなる。
バブルが弾けることでしか、変革がなされない。
問題がどんどん膨らみ、誰の手にも負えなくなり、ほとんどの人があきらめる。
行くところまで行き着くしか、解決しない。
今の日本は、あらゆる問題の本質を先へ先へと送っている。
どうやって解決しろというのだろう?
弾けた先に、どんな未来を描けというんだろう?
これからの1年1年がとても大事。
今ならまだ間に合う。ビジョンを描ける。共有できる。

世の中で本物が伝わっていかないことに、怒りを覚えてほしい。 こんな良い取り組み、活動、製品、サービスが、なぜ世の中に広まらない? くだらないものが溢れ、その維持運営に莫大な労力を割いている日本社会。

こんなバカらしいことを延々とやってられるか!
本物をあなた自身の感性で、その本質をつかみ、その本質を自分の周りの人たちに伝えていってほしい。
そうすれば、その本物の価値は確実に世の中に広まっていくから。

この違和感から逃げることはできない。
世の中を変えないことには、僕は幸せになれない。
今の世の中で、自分の心を偽って、幸せになることはできない。
心は、抑え込むには強すぎる。
どうやっても「この違和感」から逃げることはできない。
自分の想像力を騙すことなんてできない。
今まで生きてきたなかで、そのことを嫌というほど思い知った。
僕は逃げない。
たとえ失敗に終わろうとかまわない。

不景気は構造的に必ず訪れる。

日本人の狭量さを許せるようになりたい。
僕がイライラするときは、ほとんど必ず日本人の心の狭さに苛立っている。
日本人の想像力のなさに苛立っている。

僕が苦しんできたギャップ。社会への違和感。
街を歩いていると、完璧にみえる圧倒的な社会の姿がある。
で、同時にどうみても幸せそうにみえない多くの大人たち。
そして接するときにどうしようもなく感じてしまう、日本人の浅はかさ、人間的弱さ。
このあいだのギャップでずっと違和感を感じ、苦しんだ。
なぜこんな完璧に隙のない社会があって、同時に尊敬できない大人たちばかりなんだ?

“法律に触れさえしなければ、稼いだ者勝ち。 ”

日本人全員を責める。
だれか特定の人を責めたいわけじゃない。 
全員が責任を負っている 個人の努力を超えている。 
社会問題のレベルは異常 危険水域に入っている。 
世の中を良くするにはどうすればいいのか? 
一人一人が向き合うしかない 
あらゆる問題は根っこでつながっている。たった一つの荷物。 個人で抱えるのは到底不可能 抱える人数が増えるほど軽くなる。

日本人は諦めてしまっている。 それでいいだろうか? いいはずがない。
心のなかではみんな変えたいと思っている その潜在的エネルギーを表出させる。
なぜ諦めるのか? 恥ずかしいから? 正直者は馬鹿を見るから? 
ふざけるんじゃない 本当に情けないと思う そんなことで本当に成熟した大人なのか? 

社会の力は圧倒的、巨大な河の流れ 
逆らうより流れに乗ったほうが楽 寄らば大樹 赤信号みんなで渡れば怖くない。 
でももう限界が近付いている。 僕は自分の感性を信じる。 
目の前にとんでもない危機が迫っているのに、見過ごすことはできない。 

一人ひとりが変わり始めることが必要。 
考え方を変える 世の中に安易に乗ることをやめる 思考停止をやめる。
そうはいっても現実社会で懸命に生きている人に、それを求めるのは酷。 やれる人、やりたい人から、始めればいい 少しずつ変わっていく 
一人が変われば、その影響は確実に広がっていく 
強制してはいけない。変わろうとしない人を非難してはいけない。 変わりたいと望む人が、まず変わっていくことが無理のない改革。