「考える環境」ファーム

環境の力を利用して成長する。

優秀な苗木を探してきて、質の高い土壌に植える。

コンセプト
「環境が人を育てる」
若者が育つ、最高の土壌。

一日のあいだにいかに質の高い思考を積み重ねるか。
ここで「考える環境」の価値が決まる。

若者たちのための「新しい学びの環境」が必要である。 今現在あるような、大学、専門学校とは別の教育機関が必要だ。 以心伝心の目指すビジネスには、2つの核がある。 ひとつは、新しい教育ビジネス。 もうひとつは、新しい人材ビジネス。 ここでは、新しい教育ビジネスについての考えをまとめる。

新しい教育といっても、子供を対象にしたものではない。若者を対象にしている。 なぜ若者に対する新たな教育が必要なのか? それは、今の日本、これからの日本にとって、有為な若者の登場が不可欠だから。

どうやって若者を育てるというのか? 簡単に書くと、「自分で考える環境」を用意する。 今の日本には、答えを教えてくれる(押し付けてくる)場所はたくさんある。 学校でも働く場所でもそうだ。効率性を重視した結果、日本という国には「考える場所」がない。 だから若者たちはどんどん考えなくなる。自分の頭で想像することをしなくなる。

それを解決するために、「ファーム」という新しい学習環境の実現を目指す。 「ファーム」とは、どんな場所か? 「ファーム」では、どんなことを学ぶのか?

ファームは、世の中への関心を回復する場所。
以心伝心が目指す、新しい学びの場「ファーム」。 そこの一番の目的は、勉強して知識を得たり、資格を得たりすることではない。

世の中への関心を回復する。 それが最大の目的。

日本人は希望を失っている。 先行きの不透明さから、将来への不安を感じ、 「今を楽しめばいい」という刹那的風潮が蔓延している。 ("お笑い"がここまでブームになっているのがその証。今、楽しくて心地よければそれでいいのだ。)
世の中へ幅広い関心を持つことが、どんどん難しくなってきている。 中途半端に関心を深めたって、何も得るものがないし、逆に生きづらくなるだけだから。 そうやって多くの若者が思考を放棄し、自分中心の生き方に陥っていく。 それは社会にとって大きな不幸であり、将来へのリスクだ。

以心伝心が目指す「ファーム」は、世の中への関心を回復させることを目的とする。 幅広い情報がそろった環境と、じっくり考えることのできる時間。 人間が持つ本来の想像力、情動がいかにものすごいポテンシャルなのか。 それを時間をかけて実際に体験してもらい、人間が持つ潜在能力に気づいてもらう。

知識は、これからの社会では役に立たない。ネットで調べれば一発だから。 これからの時代に大事なのは、想像力。 言い換えると、希望を抱く力といってもいい。 新しい学びの場「ファーム」は、知識を得るための場所よりも、希望を抱く場所なのだ。

「ファームは、自分を成長させたい人たちのための場所」
世の中には、自分の価値観を成長させたいと自覚している人がいる。 そういう人に、世の中を深く理解するための「場所(環境)」を用意する。
世の中で今何が起きているのか。 いろんな問題が起きているけど、問題の本質・根本は何なのか。 そういう日常生活では深く考えられることを、徹底的に考えることのできる場所。 それがファームの目指す姿。

“ファームは、世の中への関心を回復する場所。 ”

たとえば次のようなことを学ぶ。 経済とは何なのか・・財務諸表は何を意味しているのか・・ 政治とはどういう人たちが、どういう力学で動かしているのか・・ 企業経営とは何なのか、経営者に求められることは何か・・ 財政問題とは何か、国債を発行することの本質的な意味は・・ 理想の介護の在り方とは・・認知症改善に効果がある介護の取り組みとは・・ 財政負担を小さくする医療とは・・未病の精神とは・・ ネットの世界では何が起きているのか・・ウェブ2.0とは・・ メディアでなぜくだらない情報ばかりが流通するのか・・ 国際社会の現状とは・・インドや中国の急激な発展が僕たちにどう影響しつつあるのか・・ 心の病とは・・鬱病とは何か・・統合失調症とは・・なぜ人はリストカットするのか・・ 戦争はなぜ起きるのか・・軍需産業の仕組み・・需要としての戦争・・ 住宅建築とは・・お金をかけずに出来る耐震リフォームとは・・

ファームで学ぶことには、制限もなければ限界もない。 どこまで山を登るのか、どこまで深く潜るのか。 それは若者ひとりひとりの意思に委ねられる。
もちろん、このような学び方は誰にでも出来るものじゃない。 求められるのは、自らを成長させたいという向上心であり、世界の本質を掴みたいという探究心だ。 そういうものを強く持つ若者が、自分の意思でどこまでの成長できる場所。 それが以心伝心の目指す新しい学びの場「ファーム」。

若者にとってどんな環境が必要なのか。

思考の安全圏(セーフティネット)が必要。
それが「ファーム」の役割。
世の中のあらゆることについて、自由に想像することが出来る場所。

自分自身が「新しい日本の大人像」になる。
会計士試験のとき、ある講師が「会計士試験に合格することは、別の人間になることだと思います。」と言った。
強く印象に残った。それほどの努力が必要なのか。
ファームで学ぶことは、「新しい日本の大人」になること。
理想の大人に自らがなる。それくらいの覚悟と気概が必要。

離陸するための場所

個人では、社会システムの力に太刀打ちできない。
正論原理主義には、勝てない。

芽が出た瞬間に踏みつぶされてしまう社会。
インキュベーション装置が必要。
踏みつぶされて強くなる雑草になるまで、自分を成長させる。

社会に深い関心を向けることは簡単ではない。
なぜなら深く想像しないほうが生き易い世の中だから。
考え過ぎると泥沼にはまりこむ危険がある。
中途半端なやり方では無理。
効率性と効果を重視したサポート環境が必要。

“個人では、社会システムの力に太刀打ちできない。 正論原理主義には、勝てない。 ”

なぜ隔離された場所が必要なのか。
孤立せずに、自分を変えることはできない。
人間関係の圧力が肥大しすぎている。
個人でこの壁を超えることは不可能。
超えるための場所が必要。

最も難しいのは、想像力のベクトルを変えること。
自分と向き合う生き方へと進む。
最初がとにかく難しい。勇気がいる。
誰も導いてくれないし、生活だって大変になる。
離陸するまでの期間がもっとも難しい。
その環境を作ろうとしている。

「仮面」をかぶったままでは、意識の変革は行えない。
仮面を安心して脱げる場。社会の子宮。

成長を望んでいても、なかなか軌道に乗れずにいる人が多い。

飛行機が離陸するのと同じように大変。
ロケットが大気圏を脱出するのと同じように大変。
なぜなら地上の引力が、飛び立つことを邪魔するから。
引力とは、日常の習慣やごく当たり前の社会常識。
社会の流れに乗ることが当然とされる社会。
そのなかで、自分自身と向きあって、地上の引力に逆らって生きることは容易ではない。
その手助けをすることが、以心伝心にとっての「人を育てる」ということ。
一度自由な大空に飛び立ってしまえば、後は自分ひとりで飛べる。

自学自習の成長サイクルへ

結局、その人自身が解決していくしかない。
助けるとはそういうことだ。
サポートする人間がいなくなっても、やっていけるようにもっていく。

主体性が常に優先される場所にする。
考えさせ、悩ませ、意思決定させる。
一歩踏み出せるまで、何度もチャンスを与えて刺激し続ける。

「鉄は熱いうちに打て」
以心伝心で人に何かを教えるときの鉄則。
以心伝心という環境の外に出ると、真っ赤になった鉄も一気に冷めてしまう。
変な形に曲がったまま、固まってしまうかもしれない。
自ら鉄を熱し、自ら鉄を叩き、社会に役立てる自分になっていく。

自分と向き合える環境の価値

ファームが目指すのは、自分と向き合う環境の確保である。
どういうことか?現代社会を生きていると、自分が何を考えているのか見失ってしまう。見失った状態が、正常とされる現代。
世の中という華やかな世界を見ていて、日本人は自分の心のなかを見ることをしなくなった。

自分の本心と向き合うとはどういうことか?
これは実際に経験しないと理解しづらいことであるが、ゾーンに入ることだ。
スポーツ選手の集中状態が高まった状態によく使われる言葉だが、思考においてもゾーンが存在する。
ゾーンに入ると、疲れなくなる。覚醒したようになり、長時間集中していても疲れない。
脳内モルヒネが出た状態。感覚が鋭くなり、思考が溢れてくる。
ファームが目指すのは、こういう状態で学ぶことだ。そのために、静かで決して邪魔されない環境が必要だ。
集中力を高めるのは、離陸するのと同じようなもの。ある程度の加速しなければ飛び立てない。
この加速の途中で誰かに話しかけられたりすると、意識が通常の状態に戻ってしまう。

ファームはシンプルな場所だ。とにかく静かで独りになれる場所。モデルは公認会計士試験のとき使っていた、専門学校の自習室だ。
大きな部屋に長机とパイプ椅子が並んだだけの部屋。貸し会議室と変わらない。違うのは、そこに集まる人たち。
会計士試験の自習室では、僕はものすごく集中しやすくかった。なぜなら周りに集中している人たちがいたから。
集中している人たちが出す波長が、自分にも伝わってくる。波に乗るように、いつの間にか自分も集中している。
集中が集中を生み、全体に波及する。素晴らしい環境だった。

集中しやすい環境をいかに構築するかが、ファームを作るうえでの課題。
集中力を持続させることができるとき、人は学ぶことに対して無上の快感を感じることができる。
勉強が退屈なのは、集中できないから。没頭するほど、自分の世界に入り込むとき、意識は沈黙する。雑念が消え、勘が冴える。
そういう状態で学ぶことができると、自分は何でも理解できる、どこまでも成長できると感じられる。
このとき万能感のような、高揚を感じる。「世の中を変えるエネルギー」は、この高揚感から生まれると僕は思っている。

ファームを実現することで、多くの若者たちにこの学びの喜びを知ってほしい。
学校教育のときに刷り込まれてしまった、教育への不信感を断ち切ってほしい。
深く考えることの真の意味をつかんでほしい。自分が努力すればどこまでも成長でき、
また世の中をより良くするための力を持っている、ということを自覚してほしい。
ファームとは、若者がそんな気付きに至るまでのサポート環境なのである。

ファームは、生きることを立ち止まる場所。
ただ立ち止まるだけじゃなく、自分の人生を振り返る場所。
世界観、問題意識を点検する。
自分の過去、現在、未来のベクトルを調整する。

余計なことを考えると、生きることがしんどくなる、という社会の構造がある。
深く考えるよりも、目前の結果を出すことが求められる現代社会。
大人になる、ということは、バランスよく社会常識を身につけ、差し障りのない品性を身に付けること、と考えられている。
そのような社会のなかで生きて、どうして深く考える力が育ちえようか。育つはずがない。
→改善策
人が自分と向き合って生きたい、と考えるとき、そこにサポート体制がない。
社会的な受け皿がない。
結局、社会問題をニーズとする構造的矛盾にはまりこみ、年を取っていくことになる。
ファームは、本気で自分を向き合いたいと考える人たちが、自分の限界に挑める場所。
そこには考えるために良質な材料が豊富に用意されていて、
同じような視線で努力する仲間と出会って切磋琢磨できる。
環境が整えば、多くの人が「深く考える」「自分と向き合う」ということに本気で挑戦するようになれる。
そういう人が増えるほど、社会体質もより本質を考える方向へと変化していく。

自分と向き合える「考える環境」の価値。

誰にも邪魔されず、静かに自分と向き合える環境。
限界まで自分の集中をもっていくためには、その環境が必要。

その価値がわかる人ほど、以心伝心のターゲットとして相応しい。
本当に価値がわかる人であれば、気兼ねなくお金を貰うことも可能。
中途半端に価値がわかる人ほど、余計な気兼ねやトラブルが多くなる。
いちいち説明しないと伝わらないから。

“ファームは、本気で自分を向き合いたいと考える人たちが、自分の限界に挑むための場所。 ”

問題意識と向き合うためには、自分の純度を上げる必要がある。
より純粋な自分自身に近づいた状態でしか、問題意識を扱うことはできない。
自分の純度を増すということは、混ざり気ない自分自身になることだ。
星を見上げているときの自分。海を眺めているときの茫洋とした自分。
何も持っていなくても平気であると確信するときの自分。
世の中を根本的に発展させるためなら、いつ命がなくなっても後悔しないと感じる自分。
そういう自分が純度の高い自分である。
そういう心境でこそ、問題意識を深めることができる。

「自分の純度」を高める

葛藤を持つことは、エネルギーを自分の中に帯電させること。
エネルギーは流れる先を求めて、激しく飛び交っている。
ファームにおける学びは、この葛藤のエネルギーを生み出す。
新たな知識や価値観とかを学ぶたびに、心の中で情報の再構築が行われる。
ファームでは、意図的にエネルギーの出口を塞ぐ。
エネルギーの出口を簡単には作らせない。
出口がなければエネルギーは、心の中で核分裂を行う。
その過程で心の容量が大きく成長する。

何もない環境の価値。

ウェブもない、テレビもない。
自分と向き合う以外に、材料が何もない環境。
そういう環境だからこそ、自分自身と向き合える。

僕自身がかつて問題意識を深めることができたのは、
当時テレビもパソコンを持っていなかったことが大きい。
目の前の情報(本など)とじっくり向き合うことができた。
テレビやインターネットは情報が多すぎる。情報に飲み込まれてしまう。
何もない場所のほうが、自分と向き合う環境に適している。

問題意識を考えるときには、材料は己の中にあるものだけにする。
ネットは接続を切る。部屋を暗くして周囲が見えないようにする。
なるべく「自分だけの世界」に没頭できることが大事。
自分の世界を邪魔する情報を遮断する。そうすることで問題意識と向き合うことが可能になる。

ファームで、自分の精神力の限界に挑む。
どこまでの深さを追求するかは、個人の自律的意思に任せる。

ファーム=閾(イキ)な空間

「閾なモノ」をファームに集める。
閾値を超えさせる力のある本物。

感性の閾値を超えると、人は新しい価値に目覚める。

たとえばジャズ。
ジャズという音楽は、最初から楽しく聴ける種類の音楽ではない。 Jポップであれば、何も考えずに楽しく聴ける。心に自然に入ってくる。
一方ジャズは、最初耳にしっくりこない。
サックスの音は、安っぽいサスペンスドラマの濡れ場シーンを彷彿させる。
ラテン音楽は、「ウ~ッ、マンボ!」とか叫びながらヒラヒラした衣装でマラカスを振るオッサンの暑苦しいイメージがある。
ジャズ系の音楽は、テレビなどで安っぽい演出に使われ、知らないうちにイメージが染みついていたりする。
それが「素直に聴く耳」を邪魔する。

先入観があると、かっこいい音楽を聴いても「バーとかでかかってるっぽいよね」という感想で終わってしまう。
音楽を純粋に音として聴くことは、あんがい難しい。
そこには「聴こうとする」意識的な努力が必要だ。
「これはいい音楽なんだ」と信じて、集中して音に耳を澄ませる。
そういうやり方で何度か聴いていると、あるときフッと音が生で入ってくる瞬間が訪れる。
あれっ・・? なんかいつもと聴こえ方が違う気がする。
これってかっこいいんじゃないか・・!?
その瞬間、感性の閾値を超えて、新たな感性に目覚めている。
感性の閾値を超えるとは、そういう体験。

みんなただ知らないだけじゃないか?
新しい価値観に目覚める喜びを知らないだけじゃないか?
積極的に驚きを求めるという感覚を知らない。 価値観をどんどん拡げる喜びを知らない。
知ったら病み付きになる人も多いのではないか。

「閾な人」を目指す。 「閾な本」が揃っている。
新しい発見に心が開かれた大人になる。センスオブワンダー。

閾な心
「閾」=能動的感受の姿勢=世の中に存在するということは、誰かがその価値を認めている。その価値とは一体どんなものだろう?
自分にとって未知のものを安易に否定するのでなく、積極的に良さを見出す努力をする。
その積み重ねによって「本物」がわかるようになる。

本物の活動をしている人たちと、本物の若者たちをつなげる。
若者たちとの接点を作りだす。本物の情報に触れる機会を生み出す。
その接点(入口)の役割を果たすのがファーム。

理屈で人を感動させることはできない。体験させる。教育改革の基本路線。
本物を体験することによって、自分の価値観を進化させることの喜びを味わう。
その感動を他人と共有することの喜び、深く考えることの気持ちよさを実際に体験する。
ジャズ、美味い食べ物、パソコン、アート、写真、経済知識。
いくらでも方法はある。

「ファーム=閾な空間」
想像力に負荷をかける。
能動的想像力にどこまで耐えられるか。
魅力を積極的につかみ取るのは、脳内労働。
どんな良い音楽を流したとしても、「うるさくて集中できない」と不満に思う人もいるだろう。
でもその人は「想像力を能動的に使う」ということがわかっていない。
自分にとって居心地の良い状況じゃないと不満になるようでは、大きな成長は望めない。
ファームの意味がわかっていない人は、「なぜ音楽なんかかけるんだ?集中の邪魔だ。」と考える。
ファームは想像力の大地を耕す場所。
自分の想像力をどれだけ能動的、積極的に使えるかが試させる。
心を広げ、新しいリーダーになるために必要な訓練なのだ。

「閾」とは、先入観をを超えること。
人間の社会性は、先入観で組み上げられてる。
曇りのない眼を得るためには、刷り込まれた先入観を超える必要がある。
デビットマレイ・ビッグバンドのアルバムを聴いて、管楽器の魅力に気付いたとき、先入観を超えることができた。
「ラッパの音」から「ホーンの音色」へ。

村上春樹さんの小説「海辺のカフカ」に、星野青年という若者が登場する。
彼はトラック運転手をしているのだが、ある偶然のきっかけでクラシック音楽に目覚める。
向こう見ずな生き方をしてきた青年が、はじめて内省的な世界を知る。
それまで縁がなかったクラシック音楽に浸るうちに、彼は自分の人生を振り返り、生き方を見直すようになる。
クラシック音楽に目覚めたことで、彼はとても大事なものを手にしたのだった。

この星野青年のくだりがとても好きだ。
多くの人たちも同じではないだろうか。
ほんとうに素敵なものに、じっくり向き合ってみたら、自分の中に潜んでいた感性が目覚めるのではいだろうか。 観光旅行などで抹茶を味わうのではなく、自分自身の感動のために、抹茶を味わう。
友人との付き合いでジャズを聴くのではなく、自分自身の楽しみのために、ジャズを聴く。 感性の閾値を越えて、新たな魅力を手に入れる。
このとき使う感受性は、心の奥にある。
意識を集中させないと、手の届かない場所にある。

“想像力に負荷をかける。 能動的想像力にどこまで耐えられるか。 ”

感受性には二つのサイドがある。
受動的な感受性と、能動的な感受性。
世界にはさまざまな民族音楽がある。
それらの音は、日常生活には馴染みの薄いものであることが多い。
リズムにしろ、楽器の音色にしろ、歌声にしろ、自分たちの文化とはときにかけ離れたものだ。
アフリカなどの民族音楽は、意識的に聴こうとしないと入り込めない。
普段の感性を一旦リセットし、とにかく「魅力を受け入れるモード」になる。
そうすれば「ダサい」とか「変な音楽」とは感じず、むしろ新鮮な印象が感じられる。
JPOPやアメリカ音楽を中心に聴いていると、無意識に比較してしまう。
高度に洗練された音楽がかっこいい音楽、という刷り込まれた思い込みがある。
その思い込みが邪魔をして、素直に音を聴けない。
感性が硬直して、素直に心を開けない。
音楽だけでなく、あらゆる感受性に通じることだと思う。
未知の価値観に心を開けないようでは、自由な精神をとはいえない。
なんでもこい、どんな魅力でを取り入れてみせる。
そのくらいの心持ちでいたい。

どんな素晴らしい音楽も、心に届かなければ意味がない。
スピーカーのクオリティ、音響を考えた配置、音量の加減、雰囲気づくり。
さまざまな要素を効果的に組み合わせて、魅力が心に届く状況をつくる。
集中して本を読んでいるとき、ふと音楽が心に響いてくる。
「この音楽、いいなぁ・・。なんてアーティストだろう?」
そういう瞬間こそが、ファームで学ぶ醍醐味。

大きなスピーカーを設置して(ジャズ喫茶のようなイメージ)、高音質で素敵な音楽を流す。
最高の音を楽しめるる環境。中古のスピーカーであれば、そんなに値もしないだろうし。 課題は防音。

ファームでかける音楽は、やはり厳選したものにしたい。
アルバム毎にかけるよりも「めちゃやばい一曲」だけをかけたい。
計算してみた。
一曲平均5分として、1時間あたり12曲。
1日12時間の運営として、144曲。
1週間ごとのサイクルとして、144×7=1008曲。
つまり、1000曲の極上曲を用意すれば、極上曲だけをローテーションできる。

基本的に「生音」にこだわりたい。
電子音はなるべく排除して、生音に統一感を出したい。

ファームでかかる音楽は、いわば洋服。
外見を飾るものでしかないけど、とても大事なもの。
でももっと大事なのは、中身。
服に人間が着られてはだめ。着こなすだけの人間性が必要。
ファームには、これら素晴らしい音楽に見合うだけの実質がある。

音楽へのこだわりで、僕のこだわりの度合を表現する。
一緒にやる人たちに求めるクオリティは、これらの音楽のようなもの。