原石を発掘する。

原石を探し出す難しさ

本人に「原石の自覚」がない

磨かれる前の宝石は、ただの石ころに見える。
自覚がない人たちをいかにして発掘するか。

自分のことを正しく評価できていない可能性が高い。
いいものを持っているのに、そのことを自覚できていない。
「入口」にたどりつけていない。

問題意識の高い人を集まることが難しい理由は、そういう人の多くは、「宙ぶらりん」になっているからだ。
おそらく、どこに自分の価値観をぶつけていいのかがわからず、悶々としているはず。
何かの活動に精力的に活動している、はずがない。
問題意識が高ければ(深ければ)、既存の活動に容易に本気になれないからだ。
たとえば俺はボランティア活動に関心がない。
べつに世の中がこのままでいいと思っているわけじゃない。
ただボランティア活動に体質的(気質的)に関心がないだけ。
別に非難するつもりもない。
以前から漠然と思っていたのは、ボランティア活動よりも、もっとやるべきことが他にあるのではないか??ということ。
これは高校生くらいの頃から漠然と感じていた。
もっと本質的・根本的にやるべきことがある・・・
そんな風に感じていて、「愛」や「正義」とか「世界平和」「戦争反対」という精神を
平気で口にする人たちを見ていて、かなり距離を感じていた。
お近づきになりたくないと感じていた。
自分とは明らかに感性が違うように感じた。
でもだからといって、自分がどこにエネルギーを向ければいいのかわからなかった。
ただ無為に時を過ごしていた。
いつも頭の中には漠然とした「?」があった。
ここで言いたい「問題意識の高い(深い)人」とは、こういう風な人たちのことだ。
物事を自分の感性で感じ、判断しようとする人たち。
こういう人たちを世の中から集めたいと思ってる。
でも彼ら自身今も漠然と「?」の状態だから、気づいてもらうのが極めて難しい。
いくら「ここだよ~」て大手を振って呼びかけても、すぐに「ああ、そこか!」とはならない。
だって彼らの中には、疑心暗鬼がいつもあるから。
世の中の怪しい活動を目にしているから、そういうものから距離をとろうとする自己防衛の気持ちが先に立つだろう。
そういう彼らにどうやってメッセージを届ければいいのか・・

胡散臭いものが横行

3年前の自分に対して、この学習システムを説明することを想像すると、気が遠くなる。 「信じるわけがない」から。 今自分がこのブログで書いている内容を、「理解できるわけがない」から。 瞬間想起?
右脳?
孔雀のこころ?
・・・・・・。
危ない・・。
詐欺くせえ・・。
そんなうまい話があるのなら、どうして世の中に広まっていないんだ?
超能力のテレビ番組と一緒だろう。
インチキに決まってる。 間違いなくそうやって、3年前の僕は素通りしていっただろう。
当時の僕の価値観と、まったく噛みあう部分がないからだ。
関心の噛み合せがない。
歯車が噛みあっていない。
素通りしてしまう。
でも僕がターゲットにしたいのは、こういう人たちだ。
もっとも狙うのが難しい獲物を、僕は狙っている。
容易には信じない自我の強さを持つ人たちに、学んでほしい。

船が進んだ先のたしかな価値。
ここがまた難しい。
そんな価値が世の中にあるはずがない、と多くの人は信じ込んでいる。
今の日本で住んでいれば、仕方のないことだ。
あまりにも完璧に見え、巨大に見える社会の姿がある。

学習するという入り口に入る前には、自分の葛藤や不安を解消するという目的が必要なのかもしれない。
漠然とした葛藤を抱いている人は、新しいことを学びたいという意識は持てないと思う。
それよりも、現代社会に対する漠然とした違和感や不安、葛藤を自らの手で解消することが先決だと思う。
その目的を前面に打ち出すことで、問題意識の高い人たちが集まってくるかもしれない。
彼らの今のニーズに直接響くことができるから。
学習という概念では、彼らの生の心情に響かない。
彼らは反応できない。真意は伝わらない。

“磨かれる前の宝石は、ただの石ころに見える。
自覚がない人たちをいかにして発掘するか。 ”

若者を包む深い霧

若者達の周りには霧が深く立ち込めている。
その霧が若者達の魂の成長を歪め、過剰な欲望と衝動の世界へと迷い込ませている。 その霧を生み出したのは、誰だろう? 若者達だろうか?
若者達を覆う深い霧を生み出したのは、玉虫色に変色する日本という生き物そのもの。 全世代が無責任に、複雑に絡み合って、一つの巨大なカメレオン体と化している。 それぞれが自分達は悪くないと本気で思っている。
本気でそう思い込んでいる。 どうしよう・・・。
どうやって若者達が、あの霧から抜け出せる?
どうすれば、多くの人間が誇りと自尊心を取り戻せる?
どうすれば、恥を思い出すことができる?
霧の正体って、なに?
ゲーム、テレビ、漫画、カラオケ、ファッション、ドラマ、恋愛、強さへの憧れ・・。
そうじゃない。 それは見せかけの「代用品」にすぎない。
心に響く、心の琴線に触れるものが、この国のどこにも存在しない。
安心して、自分自身で存在できる場所が、もはや残されていない。 安心して根を伸ばせる場所がない。
だから根腐れが起きている。
心の砂漠化が進んでいる。
だからゲームに熱中するしかない。
何もやることがないから、テレビを見るしかない。 溜まった「何か」を発散しないと生きられないから、カラオケする。 内面の豊かさを誰も教えてくれないから、ファッションで自らを包み隠すしかない。 寂しくて仕方ないから、手軽な恋愛に包まれて安心したい。

現在巷にはくだらない刺激、過剰な刺激が溢れている。
→若い世代の多くの連中が、それらに心を奪われ、魂をも奪われている。
→その状況を変えるのは、相当な魅力を持った代替刺激でなければできない。
→あんなものに魂を奪われ続けていては、時代の二極化は止められない。
→代替となる魅力とは、人間に備わった潜在能力の凄さ、可能性に若者自身が気づくこと。
→自分がどこまでも変わることができるという事実を知る。

原石を見極める

量より質
人間性にこだわる。

モチベーションのカタチを見極める

動機、モチベーションのカタチを見抜く。
その人が本当に望んでいることを見る。
過去の軌跡に、その跡が残っている。
その人がかつて自分で選び取った行動に表れている。

「世界のどこまで」を視野に入れて考えているのか。
そこで知性の深さが見える。
その人が見ているもの。その人が見ていないもの。
見えていない盲点があるほど、人は狭い領域に考えをとらわれる。

本物の強さ
自らの居場所、存在意義を、なくす方向にもってゆける。
必要のない、自然な社会を目指すことができる。

「金や権力、名誉にこだわるな」などと言われたりするけど、捨てることはできない。
そもそも捨てるものじゃない。
広い価値観の人は最初から心が広い。
名誉にこだわらない人は最初から執着がない。

能力が高いとは、自分の限界を自覚していること。
頭がいいとは、自分の欠点を自覚していること。

「成長の予感」 ポテンシャル
「こいつは化けるな」という期待。
物事へのこだわらなさとか、本質を見抜く目とか、
衝突を恐れない勇気とか、孤独に耐える力とか、そういうもの。

「評価基準の例」
気配りできる力
場の空気を読み取れる力
自分を客観的に観る力
大局的な視野で考える力
ファシリテーション力
責任感・我慢
想像力・創造力・独創性
本質・根本・軸・芯・信念
コミュニケーション力
センス・感性
向上心・学ぶ意欲・モチベーション

深い話になるほど、目が輝く人
本質的、根本的な話になるほど、頭が回転する人

理解できるかどうかが大事なのではなく、
理解したいと願う気持ちがあるかどうか。
能力とは理解しようとする気持ちの強さがすべて。
理解したい気持ちは、問題意識から生まれる。

“物事へのこだわらなさとか、本質を見抜く目とか、 衝突を恐れない勇気とか、孤独に耐える力とか、そういうもの。”

人を選ぶ際大事なこと
「深く深く掘り下げること」
どこまで自分の責任をもって考えているか。
適当に言っているだけではないか。
自分自身の存在と繋げて考えているか。
小物は深く掘り下げて質問されると、窮するか腹を立てるか小馬鹿にするか。
大物は深く掘り下げられると目が輝きはじめる。

「人」を判断するとき、その人の情熱の度合を見る。
その人が何か自分の夢や目的を語ったとき、
その実現のためにその人が過去どれだけの時間と労力、情熱を注いできたか。
そこを見るようにする。
うわべで、思いつきで、希望を語る人は多い。
そういう人の言葉の裏には、不安をじっと抱えた形跡が見当たらない。
葛藤を抱えて鏡の中の自分をじっと見つけたような努力が見えない。
まったく心に響かない。
本気で努力してきた人の言葉は、素直に心に届く。
その人の言葉の端々から、日々しっかりと抱え続けている様子が垣間見える。
「この人は本気なんだな」と心が自然に感じ取る。

問題意識の方向性が、根本に向かっているかどうか。
人間判断はこの一点に尽きると思う。
社会を嘆いているとしても、根本に意識が向かっている人は
決して諦めもしないし、投げ出しもしない。
着実に積み上げて、根を太く育て、幹を太くしていく。

世の中には「頭の良い奴」はいっぱいいるが、「心の良い奴」はなかなかいない。
たとえいたとしても、社会的に活躍していない場合が多い。
俺が「頭の良さ」に疑いを持ったのは、俺が「心の良さ」を持っているから。
頭で理解することと、心で理解するのは、別次元。
違和感を感じるのは心だ。
俺は世の中の在り方に違和感を抱きすぎて、神経症にまでなった。
神経にまで及ぶくらい、世の中についていろいろ感じていた。

老子 四十一章 「大器は晩成す」
正真正銘の士(立派な人物)は、「道」を聞けば、熱心に実行する。 どうにか士といえる程度の人は、「道」を聞いても、半信半疑である。 士とは名ばかりの連中は、「道」を聞くと、腹を抱えて笑い出す。 だが、こんな連中の物笑いにならないようでは、「道」とはいえない。

凡庸さは、いくつかの凡庸さが見えた時点で明らかになる。
初めて聴くアーティストの音楽が、本物であるか凡庸(ジャンク)であるかを認識する。
そのとき凡庸さがいくつか見えた時点で、「ゴミだ」と納得できる。
逆に言うと、本物は隅々までこだわって作り込まれていて隙がない。
人物も同じだと思う。
凡庸さがいくつも見える人間は、逆立ちしても本物にはなれない。
本物は、すべてが本物。
欠点も短所も、それなりのきちんとした理由がある。
俺が貧乏生活をしていたり、働けなかったりする理由もそう。

環境が人を選ぶ

ターゲットが好むであろう環境を用意する

問題意識の高い(深い)人が集まってくる学びの場。
→何が問題なのかを考える力のある人たちが集まる場。
→問題意識の高さは、日常の思考の積み重ねのうえに成り立つ。
→互いの問題意識や価値観に対する信頼があって、高度な学びが成立する。

問題意識の高さは、何を犠牲にできるかによって測ることができる。
特に物欲や金銭欲、そして名誉欲によって、明瞭に測ることができる。
これらの欲望と、問題意識の深さは、決して両立しない。
どちらかが高ければ、どちらかは必ず低い。
この法則を利用すれば、問題意識の高い人を集めることは難しくない。
問題意識の欲望の高い人を集めるには、物欲・金銭欲・名誉欲が満たされないシステムを作ればいい。
以心伝心に参加することで問題意識は深く満たされるが、物欲や金銭欲、名誉欲は満たされない場所にすればいい。
そうすれば、必然的に問題意識の高い人が集まるはず。

「人を集めること」ではなくて、 「人の能力を伸ばす」ことを考える。 能力を伸ばすための、最高の場を作れば、自ずと人は集まる。 「集める方法」ではなくて、「集まる方法」を考える。

以心伝心は、「入り口」の役割を果たす。
入り口は目立たないといけない。
目に入りやすいといっても、中に入りやすいわけではない。 フィルターでふるいにかける。 問題意識ある人間が残るようにする。

いい人材が流れ込む流れを作る。
「お金が流れ込む仕掛け」のようなもの。

“「普通の人たち」の中に求める原石がいる。 「普通の人たち」の中を探す必要がある。”

①今までにない環境を実現することによって、目立たせればいい。
ジャズ喫茶のようなスピーカーがあって音楽をかけながら学んだり、
映像を駆使した独創的学びを展開したりして、とにかく目立つ。
そういう情報をプレスリリース(メディアに取り上げてもらうこと)して、
新聞やテレビに出て話題性を高める。

②もう一つは「問題意識のレベルによる選別」。
問題意識が問われるようなカリキュラムにし、論文テスト、面接テストを実施し、
その人が過去どれだけ自分頭で考え、自分の心で感じてきたのかを見る。
そこに僕情は一切挟まない。足りなければ、努力すればいいだけの話。
俺達はその努力の方向性を提示できる。
自分を磨いてまた次の機会に来てもらえばいい。

梅田ノマドで集める。

自ら気付かせる。

どうすれば彼らが自分の潜在能力を自覚できるのか?
「本質的な質問」を用意することが有効ではないだろうか。
問題意識を常日頃から持っている人にしか答えられない本質的問いかけ。

たとえば、
「ビジョンの重要性について書いてください。」、
「全体像を把握することの大切さを書いてください。」、
「メディアの影響力について、思うところを書いてください。」、
「独創性について思うところを書いてください。」など。

漠然としていて、捉えどころがない質問。
一般論を当たり前に受け止めている人たちは、こういう質問に歯が立たない。
普段から深く考えたことがないので、ごまかすしかない。
一方、ターゲットとなる原石たちは、今まで感じてきたことを書けばいい。
ビジョンのない日本社会や、メディアの垂れ流す情報の弊害など、書くことはいろいろあるだろう。
そして世間の多くの人たちがこういうことに答えられない事実を知って、驚くだろう。
「あれ、みんなそんなこともわからないの?」 その気づきは、自分の中に眠る潜在能力への自覚に繋がっていく。

ごく普通に見える問題意識が、じつはものすごく深い問題意識である。
今の世の中を見て、「変えられる!」と無邪気に思える人がけっこう多い。
それは願望にすぎない。
「世の中を変えるなんて、出来るはずがない」と思うほうが健全だ。
問題意識があるから悲観的になる。
「出来る筈がない」と思ってしまう。
思い込みが外れ、「出来る!」という確信を抱くとき、人は変貌する。
世の中で優秀とされる、上流階級、支配階級層の人たちが、じつはある面(ビジョン・世界観・価値観・問題意識)
において、とても稚拙な知性しか持っていないのかを実感できると、ほんとうに驚く。
「こんな人達が会社の社長だったり、政治家だったり、本を書いていたりするのか・・・」と驚く。
そういう驚きをもったとき、はじめて確信と覚悟が宿る。

「世の中を変えたい」というメッセージではダメ。
「普通の人たち」の中に求める原石がいる。
「普通の人たち」の中を探す必要がある。
かつて自分がそうだったように、普通の暮らしの中で社会に対して強い違和感を抱きつつ、
でも「世の中を変えよう」なんて夢にも考えていない人たち。
普通の人たちの中にいる原石が感じているであろう「違和感」に訴えかける。
それはかつて僕自身が抱いていた違和感だ。

「世の中を変えよう」と声を挙げると、依存傾向の強い人たちが集まってきてしまう。
現状に強い不満を持っていて、藁をもつかもうともがいている人たち。
そういう人は以心伝心のターゲットではない。

「世の中なんて変わるはずがない」という感覚が正常。
世の中を自分が変えるなんて、出来る筈がない。
そういう感じ方が正常であり、まともな感覚の持ち主。
「世の中を変えよう」と訴えると、この感覚を持っていない人たちが食いついてくる。
つまり、なにか面白そうなことはないか、苦しさから抜け出せないか、という依存タイプの人たちが集まってくる。
その人たちには「社会の壁」を正確に捉える力がない。
実力を伴わない自尊心が肥大化し、実現できない理想をできると信じてしまう。

本物は本物を知る

「本物は本物を知る」という法則を活用すれば、日本中の本物を集めることは可能。

勝海舟と坂本竜馬の初対面のシーン。
竜馬を最初に英雄と認めたのは、勝海舟。
人間は自分と同じレベルでなければ、お互いの真価を理解することはできない。
勝海舟以外の人間にとって、竜馬は英雄どころか愚鈍な法螺吹きとしか映らなかった。
ただ愛すべき人間であることだけが伝わった。
愛敬は理解できても、竜馬の持つ本質的な能力には誰も気づかなかった。
勝海舟が最初の対面で見抜いた。
英雄は英雄を知る。本物は本物を知る。

人間判断は「愛敬」が大事。
西郷隆盛がいったように、「愛敬は至誠の分泌物」。
愛敬があるかどうかが、人物かどうかの一つの決め手。
心に至誠を持っているかどうか。
滲み出るものだから、自然と伝わってくる。

問題意識ある人は、自分と同じ匂いのする人を探し出すことができる。

本物を見極める力、というフィルター