合理的な国民性

真心に根ざした合理性

この国を合理的にする。それはシステムではない。
日本人の心を、合理的なものにする。
理屈のわかる日本人。論理的にきちんと考えられる日本人。
何が大事なのか、みんなで共有できる日本人。
それが目指す合理化。
問題が起きてから対症療法的に対処する社会から、
問題が起きる前にきちんと設計できる社会へ。
ゆとりをもって、心豊かに、経済活動が行える社会。

合理的な国民性には、どんな良い点があるのか。
真の効率化
社会問題の抜本的解決へ向かう力
共感の創造
付加価値を生み出す源泉

合理的な国民性を獲得するためには、大人サイドの教育改革が必要

日本人の合理的というのは、部分最適を意味する。
俺が主張する合理的とは、全体最適のこと。
それも一企業や産業でのことではなく、社会全体のでの最適化。
そのために、ひとりひとりが「個人」として、社会のあるべき姿と向き合う必要がある。
いわゆる「社会人」というのは、部分最適の担い手。
「仕事」とは、部分最適の追求。

“問題が起きてから対症療法的に対処する社会から、
問題が起きる前にきちんと設計できる社会へ。”

日本人は、損得でしか物事を考えられなくなった。
その結果、失われるのは、社会全体の最適化であり、社会ビジョンである。

目指すのは、個人レベルと社会レベルの幸せを一致させる取り組み。
個人にとっての豊かさの最大化=社会全体にとっての豊かさの最大化。
そのとき課題になるのは、組織としての豊かさをどこに向かわせるのか、ということ。
組織ごとの最適解が無数に存在する現状。
学校教育にとっての最適解、医学界にとっての最適解、会社組織にとっての最適解、
NPO団体にとっての最適解、政界にとっての最適解、ヒルズ族にとっての最適解、
負け組にとっての最適解、ニートにとっての最適解、フリーターにとっての最適解、
芸能人にとっての最適解、自治体にとっての最適解・・・。
無数の最適解が存在して、互いに利害衝突をおこしている。
拡大する進化発展の方向から、融和する進化発展の方向へ。

ライフスタイルの進化

本来、社会の資源たる人は、ライフスタイルの最適化に沿って、労働力として配分されるべき。
しかし現実には、需要は違う動機によって生み出される。
そこには利潤の最大化が優先され、僕たちの暮らしを最適なものにするという思想はない。

たとえばマンションを作るときにおいても、最初から数十年で建て替えるという前提で作られている。
内断熱方式や排水管の構造が、そうなっている。
建て替えを前提に作れば、数十年サイクルでの売り上げの循環が成り立つからだ。
ヨーロッパなどの国ではこのような作り方はされない。
建物はなるべく長く維持できるようにと工夫されている。
ドイツでは100年を超えるマンションが高額で売買される。
しっかり作られたマンションは経年による劣化はなく、資産価値が維持されている。
日本の家づくりも昔はそうだったはずだ。100年を超える古民家が今も多く残っている。

まずライフスタイルの最適化を考えることから、僕たちは始めないといけない。
日本人としてどのような暮らしを営んでいくのか。
それを時間をかけて見つめ直し、選ぶものを選び、捨てるものは捨てていかねばならない。
希望あるビジョンとは、そのような過程を得てはじめて形成されるものである。

“利潤の最大化が優先され、私たちの暮らしを最適なものにするという思想がない。”

これからの日本人に必要な進化。
常識の進化。 コモンセンスの進化。多面的・複合的コモンセンス。
感情の進化。 無意味な感情論からの脱却。

コモンセンス(common sense)
共通の感覚、当り前の感覚。
以心伝心で大事にしたい考え方。

以心伝心では、呼吸をするように、日常的にコモンセンスを磨く。
通常と違う点は、その範囲の広さ。
あらゆるジャンルについて、コモンセンスが存在する。
それらを包括的に理解するように努力し、その背景にある本質をとらえる。

大人としての「基本的知識」。
社会活動が潤滑に行わるための共通土台。
大学の一般教養課程で学ぶ基本的内容。
簿記、財務、原価計算、商法、刑事法、ITの基本(ブラインドタッチや、検索スキル等)、心理学
以心伝心が目指す学びの環境は、そういう基礎的知識が学べる場所を全国に普及させること。

ジャック・アタリは、第五の波「超民主主義」が2060年頃に起きるという。超紛争を経て、人々が利他主義に気づくと。
俺が目指しているのは、まさに超民主主義。ということは、50年、時代を先取りしていることになる。そりゃわかってもらえんわけだ。

ジャック・アタリ 「トランス・ヒューマン」 「合理的な利他主義」。いい言葉だ。

相互監視社会から、相互見守り社会へ

天国と地獄の鍋の話

世知辛い世の中から、世知甘い世の中へ。
世知あまいとは、互いに理解し合っている状態。
天国と地獄の鍋の話。箸の長さ。
不信感によって成り立つ社会から、信頼によって成り立つ社会へ。

洞察力(見守る力)
ノン・バーバル・コミュニケーション 言葉がなくても通じ合える
認知症介護に重要とされる、洞察力、観察力。
背景が理解できることで、観察力は増す。
洞察力を磨くためにマインドビッツで社会の構造、全体像を学ぶ努力をする。.

「以心伝心」という言葉に込めた本質は、他者を「見守る力」にある。
昭和の時代には、見守る力が社会に存在していた。
バブル崩壊以降、時代のスピードが速くなり、人々の心の余裕がなくなった。
その結果、社会から見守る力が急激に失われた。
「見守る」が、目指す社会のキーワード。
見守ることのできる大人がたくさん増えること。
教育の本質は、成長を見守ること。
俺がいいなと思う人は、必ず「見守る」ことの達人。

“昭和の時代には、他者を"見守る力"が社会に存在していた。”

アメリカ的合理性との違い

問題意識のことを直接説明するのは難しいので、逆に問題意識の欠如について書きたいと思います。
その典型例として僕が思っているのは、アメリカ社会です。
現在の日本を見ていて強く危惧しているのは、日本社会が急速にアメリカ社会のような国民性に変わりつつあることです。
これは1995年以降くらいから顕著に、そして猛スピードで進行しています。そして僕は日本がアメリカ社会化することに強く反対します。
その流れに抵抗して、流れを変えたいと願っています。
まずアメリカ社会がどうして「問題意識の希薄な国」なのかということですが、一見するとアメリカ社会は問題意識の深い国のように見えます。
議論が好きで、相手の意見を尊重し、論理を展開していく。日本よりも遥かに問題意識のある国と、日本人から目から見ると映るかもしれません。
しかしアメリカ人の考え方は、デジタル化された思考だと思っています。
デジタル化された思考とは、物事を一面性によって信じてしまう思考パターンと考えてください。物事の多面性を許容できない思考です。
多くの日本人が感じているように、アメリカ人の論理は手前勝手です。自分達の「正義」を強く押し通そうとします。
従わない相手は武力をもって鎮圧してでも従わせようとする。アメリカ社会の視点には、「他者の視点」が欠けています。
京都議定書の件でもそうで、自分達の利害でしか世の中を見つめていない。アメリカ社会が物事を一面的に見る論理で成り立っているからです。
正義と悪、正解と間違い、どちらかが非常にはっきりしている。
白黒はっきりつける思考トレーニングを積みすぎているのです。 アメリカの教育では、よく議論を互いに展開させます。
どちらかの意見の側に立って、相手と論戦を交わす。どちらの側に立っても、相手を論破し、自分の意見を通すことが目的です。
そのような思考はビジネス社会ではたしかに有効かもしれません。
しかし人間性の形成の点からいうと、大きな問題があるのではないでしょうか。
本来、物事はどこまでも多面構造で成り立っているはずです。一かゼロかでいつも思考する訓練をやっていては、物事の複雑性、
混沌としたカオスを受け入れる力が養えません。そこがアメリカ社会の組織的強さの秘密であると同時に、アメリカ社会の傲慢さの原因です。
彼らには葛藤を抱える力が足りません。混沌とした、こういう見方も、ああいう見方もある、いやこういうのもあるな、という柔軟な見方ができない。
とにかくイエスかノーか、どこまでも論理で押し通す。
アメリカ社会は、日本より遥かに一人ひとりが社会の歯車になっています。専門スタッフが異様なほど充実しています。
病気にしても、細部まで専門家がケアしてくれる。分業化がどこまでも進んでいます。だけどその結果、病気はますます増えていくのです。
犯罪者が200万人もいる国。離婚が当たり前になり、なんでも訴訟で片をつけようとする。
アメリカというとてつもなく洗練された社会の裏側には深みがありません。