人材の鉱脈が眠っている。

埋もれた優秀な人材は本当に存在するのか?

以心伝心が求めるのは「規格外の人」。
世の中の枠に収まりきれない、器の大きな人。
常識はずれ、世間知らずの人ではない。
以心伝心が求めるのは、常識をよくわきまえた人。
常識を踏まえたうえで、常識から逸脱できる人。

問題意識が深い人は、簡単に目的を見出せない。
やる意味、価値、意義が見えないから。
単純化できたほうが行動しやすい。
本を書いている人とか、専門に秀でている人のほとんどは、自分のやるべきことをシンプルに捉えていることが多い。
「問題意識が深いがゆえに、目的が容易に見えない」ということの価値を社会に提示したい。
「考えてばかりじゃ何も始まらない。まずは行動してから」という考えに対抗できるだけの価値付けがしたい。
それが社会的に共有化されて価値が認められれば、多くの人が問題意識を深めることが可能になる。

持ち味を生かせていない若者が、あまりに多い。
適材適所でいうと、巨大な社会的損失。
モチベーションと仕事とが一致していない。
社会に対する希望を持てずに、良い仕事ができるはずがない。

ニートやフリーター、心の病を持つ人の中には、今まで存在しなかったタイプの才能が大量に眠っている。
それらは社会を根本から変える力を持つ。
その実例一つが僕。僕のようなタイプが何千、何万と生まれていく。
新しい才能と、既存の才能との衝突が始まる。
意味のある衝突。新しい価値を生み出す創造的破壊。
それら多種多様な才能が融合し、調和し、社会を変えていく原動力になる。

就職氷河期~失った10年~ロストジェネレーション、格差社会~世界金融危機。
思春期から青年期にかけて、「問題を先送りする大人社会」を常に見続けてきた。
いやでも問題意識は膨らんだ。

「問題意識」にどれほどの可能性が眠っているのか?
そのことを想像できる人が、俺の求めている人。
可能性を共に追求できる仲間。
石油と同じくらいの価値が眠っている。
それほどの価値を見出すためには、問題意識についてよほどの考察を持っていなければならない。
自分と世の中の問題意識の差を強烈に感じている人でなければならない。

社会の遊休財産

「遊休財産」という言葉じたい、あまり聞き慣れない言葉かもしれない。
工場の様子を想像してみてほしい。
中小企業で、あまり外観はパッとしない。
なんとなくうらぶれた感じがする、そんな工場。 工場内には油にまみれたままの大きな機械がある。 どうやらここ最近使われた形跡がない。
稼動することなく、眠ったままになっている機械。 遊休財産とは、そのような資産のことをいう。 この遊休財産という言葉を知ったとき、日本の若者たちのことが頭に浮かんだ。
「遊」び好きで気儘なフリーター、「休」んだままのニートや心の病で苦しんでいる人たち。 彼らは日本社会の遊休財産だと思った。 一般論では、とかく彼らをお荷物的存在と捉えがちだが、俺はそうは思っていない。 彼らには固有の才能、能力があると感じてる。
今の日本にとって大事なのは、彼らの中に眠っていて、彼ら自身おそらく自覚していないであろう潜在的能力を引き出すことだ。

「自信をなくした人たち」は、大きな余力を持っている。
彼らには大きな社会的可能性がある。
彼らの潜在意識には「巨大な空きスペース」が残されている。
思考が固定化されていない。
物事を見る目が偏見に満ちていない。 常識に過剰に染まっていない。 こういう人たちは、新しい学びによって劇的に変わる可能性がある。

最大の改革資源は、人の中に眠っている問題意識

“潜在能力の高い人材がたくさん埋もれているのに、その鉱脈が見過ごされている。

大きなチャンスだ。
潜在能力が高い人材に対する有効な受け皿がない。
その受け皿を作ることができれば、大きな可能性を生み出すことができる。
機は熟している。

「最大の資源は、我々の頭の中にある。心の中にある。」
それは地球上の最大の資源。
以心伝心はそれにアクセスしようとしている。
人間の可能性の扉を開く。
材料も何もいらない。
誰もがそれを生まれながらに持っているもの。

問題意識は、今まで世の中においてほとんど評価されてこなかった種類の知性である。
それはまさに人材資源の鉱脈といってよい。
社会が変革期を迎えるにあたり、今後は問題意識という知性が高く評価されていく。

若者たちの問題意識がどぶ川に流れて腐敗してしまう現状。
ものすごく貴重な肥料があるのに、それらの価値がわからない人たちがどんどんどぶ川への廃棄する。
肥料は腐敗し、悪臭を放つ。そういうイメージを持ってしまう。

何をやればいいのか? 
いつの時代も転換点を支えるのは若者 
若者への投資が必要 
お金だけじゃない 
環境投資 
環境を用意して、自助努力する
土壌がない 
普通に生きていると信念が骨抜きにされる 
過剰な刺激社会 
思考が受け身になる 
テレビ 漫画 過剰な友人関係 
村八分社会 出る杭は打たれる 
同じファッション 同じ言葉遣い 同じ思考 
そうじゃない若者もいる 僕がそうだったように 
独立独歩 自分の考えを大事にしている 
どこにも属せずにいる 属していても違和感を抱く 
自分の可能性への思い 
何かがおかしい 聡明な若者 
そういう若者を集めたい 
そういう若者が成長できる環境が必要

「問題意識」を活用して、改革を行なう。
→ニートと呼ばれる若者や、心の病に苦しむ若者のなかには、質の高い問題意識が蓄積されている。
→その力を活かすことが、今後の時代を変えていくための大きな原動力になる。
→課題は、若者に対するフォロー・支援を、どうやって実現していくか。
→ニートにしろ、心の病にしろ、現状では独りでもがいても、どこにも辿りつけない。
→相手は、圧倒的な1億2千万人の「社会」だから。個人の力で太刀打ちできるものではない。
→よって、ニートや心の病の人たちの問題意識を「組織化・共有化」していく必要がある。 →そのためには「新しいタイプの学びの場」が必要である。

埋もれた優秀な人材は本当に存在するのか?
そこを早く証明しないといけない。
理屈じゃなく、実在として。
原石たちに訴えかけ、名乗り出てもらう。
そのために、誤解のないように3段階にわけて人材の種類を伝える、などの工夫が必要。

①コアメンバー
②ファームで学ぶことを希望する人
③以心伝心の活動が将来自分の利益につながると考える人
(コアメンバーになったり、ファームで学ぶことは難しいかもしれないけど、そういう活動が広がった先に生まれるであろう職場や学校等に期待する。)

“埋もれた優秀な人材は本当に存在するのか? そこを早く証明しないといけない。”

関わるときは、3つのどれにあてはまるのかを自分で選択してもらう。
もちろんハードルはコアメンバーが一番高い。リスクも高い。
自分で抱えないといけないものが激増する。
そういうことをしっかりわかったうえで、名乗り出てもらう。

限定のない想像力をもつ人間

常識の枠の、外へ外へ。
個人的な特徴は、「外側に出ていこうとする思考」。 どんな話を聞いても、その外側を想像しようとする思考が働く。 思春期の頃から、誰に教わることもなく自然とそうなっていた。

対人恐怖や社会不安に悩む人間の中には、僕のようなタイプの人間がいる。
その事実を知ってもらうことで、社会に眠っている潜在能力を知ってほしい。
日本には僕と同じような連中が相当眠っているはず。
彼らの力を掘り起こす必要がある。

僕のような存在は、社会の盲点。
勝ち組、負け組という従来の二極化の視点では捉えられない。
たとえば僕は自分の金銭的報酬に固執しないし、衣食住のクオリティにも執着がない。
僕がこだわるのは、自分が成長するための環境の質。
そういう若い世代の人材が確実にいる。少なくとも僕が実在している。
そのことを社会の心あるリーダーたちに知ってほしい。
お金をかけずとも、確かな成長環境さえ用意すれば、
優秀で埋もれた人材が集まってくる可能性がある。
それを理解してほしい。

対人恐怖を感じるタイプの人間に求めることは、「抽象性の中での思考と統合」だ。
良識的な日本人は、たいてい抽象性が苦手である。
具体的でなければイメージできない。
具体的な方法が決まれば、日本人はうまく行動できる。
方向性を与えられたうえでの行動は得意。
自分の頭で一から考えて動くのは苦手。
それができる人間は、今心の流れを止めている。
巨大な緊張の中で氷漬けされている。

すべてを理解したい、曇りのない眼を持ちたいと願う人がどれくらいいるか?
そこが勝負の境目。
若い世代には、矛盾や葛藤、不安社会の中で生きてきたゆえの、ニーズがある。
この世界の意味を考えざるをえない状況。
そのなかで、社会に依存して深く考えない道を選ぶのか。それとも深く考え続けることを選ぶのか。

磨かれるとどうなるのか?

新しいタイプのリーダーが誕生する。

問題意識の深い原石たちを集める。

問題意識を教えることはできない。
人生の中で、自分の力で掴み取るしかない。 

なぜ問題意識の高い(深い)人を集める必要があるのか?
その理由は、「問題意識は教えることができない」から。
学びの場を作ったとしても、問題意識を身につけさせることはできない。
不可能ではないが、とても難しいし、第一(その人の人生に対する)責任が持てない。
深い問題意識を持つには、長年の積み重ねによる耐性が必要。
一ヶ月や二ヶ月で身につくものではない。
少なくとも数年はかかるし、それも問題意識と絶え間なく格闘する数年間でなければならない。
そんな生活を他人に強要することなどできない。
自分で望んでやるしかない。
問題意識を「教える」ことはできない。
すでに問題意識が育っている人を集めるしかない。

知識は3年も勉強すればいくらでも伸びる。
しかし問題意識や価値観は、教えて伸びるものじゃない。
だから原石を選ぶ必要がある

“問題意識を教えることはできない。 人生の中で、自分の力で掴み取るしかない。 ”

そもそも言葉にすることができない。
自分で感じ、自分で抱え、自分で育てるしかない。

問題意識の弱い人は、結論を出すのが早い
白黒はっきり 曖昧さに欠ける
わからなくて、モヤモヤすることに耐えられない
自分の心を見つめる力が未熟

問題意識の弱い人は、結論を出すのが早い
白黒はっきり 曖昧さに欠ける
わからなくて、モヤモヤすることに耐えられない
自分の心を見つめる力が未熟

問題意識 ⇔ 問題提起
問題提起に終始する人が多い。
ここに問題意識に対する誤解がある。
口先だけで問題を唱える輩がとかく多い。
問題提起は「その場しのぎ」の知性。
問題意識は日常で持続する知性。
問題提起ばかりしてる、厚顔無恥な連中がメディアを占領している現代。
本当に問題意識を持つ人は、滅多にメディアに出はしない。
テレビに出たりするよりも、やるべきことがたくさんあるから。

誰でも問題意識を持っている。 日々起きる事件に心を多かれ少なかれ暗澹な気持ちになっているはず。 ただ、ほとんどの人は慣れてしまう。 毎度のことだと思うようになって、素通りするようになる。 そこが差だ。 慣れてしまうか、慣れずにずっと問題意識を抱き続けられるか。 そこが問題意識の境目、曇りのない眼を持てるかの境目。

ドライな考え方かもしれないけど、僕は「見込みのない人を育てる」よりも、
「見込みのある人を探す」ことに力を注ぎたいと思っている。
世の中を良い方向に変える、という目的に鑑みるとき、絶対にそちらのほうが正しい選択だと思うからだ。
見込みのない人、というのは、今の段階では、コアメンバーとしての荷を背負うことが難しい人のこと。
この活動を通して、さまざまな人たちに出会った。
その多くが「世の中を変えたい」という気持ちを持つ人だった。
しかし、世の中を変えたいという気持ちがあるからといって、世の中を変える能力がある、というわけではない。
いろんな人と出会うなかで、僕はそのことを強く考えるようになった。
まず第一に「普通」という感覚を掴めていない人が多いと感じた。
それは当然のことかもしれない。
誰かが世の中を変えたいと本気で思うとき、その人にはなんらかの不満や葛藤があるはずだ。
何の不満もなく葛藤もない人が、世の中を変えたいなんて本気で考えるはずがない。
問題は、その不満や葛藤の裏側に何があるのか、ということだと思う。
そこが「どんな世の中を目指すのか」というその人なりのビジョンの核になる。
僕が感じたのは、出会った人の少なくない人たちが、「とても厳しい人生の状況」によって、
不満や葛藤を抱くようになったということだった。
たとえば学生時代の陰湿なイジメだったり、家庭の環境だったり。
自殺を実行しようとしたことがある、という人もいた。
僕は世の中を変えたい願望と、それを実現しうる人間力や能力についての「ギャップ」についてずっと考えてきた。
頭を悩ませてきた。
端的に書くと、世の中を変えたい、と願う人達の多くが、現実的なバランス感覚や能力に乏しいことが多い。
たとえば、ひきこもり経験のある若者を考えるとイメージしやすいかもしれない。
十代や二十代といった、人間としての基本的な土台を築く時期に、長期間じっと家にこもるということで、
どれだけの成長の機会を逃すことになるだろうか。
こもって本を読んだりネットをいじったり、と何か創造的な時間を過ごせた場合は別だが、
そうではなく無為に時間を過ごした場合、その人が現実社会の中で「泳ぐ」ことができるためには、
あまりに学ばないといけないことが多すぎる。
そしてその足りないものは、「現実社会の中」でしか学べない種類のものだ。
嫌な人間との諍いとか、胸焦がす恋愛の体験。そういった人間同士のつながりのなかでしか、
バランス感覚も他人の気持ちも学ぶことはできない。
本や授業で教えることはできない。
程度の差はあれ、世の中を変えたいという気持ちを持つ人の多くが、
現実社会で通じる能力において足りていない現状がある。